旧ソ連:サハロフの先駆け
反物質ほど謎に満ちたものはないでしょう。
あればあるで恐ろしい存在になりますし、なければないで
この宇宙が存在できなかったことになります。
今日ではSF映画のあとを物理学が追いかけているような
状況ですのでSF作家ももっとがんばってより画期的な作品を
つくってくれたらかなり参考になります。
アイザック・アシモフがSF小説の先駆けと思いますが、
信号伝達に電子の反物質である陽電子を用いた人工脳に
よって動くロボットを考え出しています。
ジャック・ウィリアムソンは反地球物質を考案していますが
それなりに苦労したあとがうかがえます。
そしてジーン・ロッデンベリー� �スタートレックで反物質を
燃料として超高速で巡航する宇宙船を登場させました。
反物質を取り出すことは現在の大型ハドロン粒子加速器
CERNにおいても可能ですが微々たる量です。
物理学ではディラックの方程式でマイナスエネルギーである
解がでてきたためこの難題を取り除くために空孔理論が、
真空はすべてマイナスのエネルギー準位が電子によって
満たされている状態で、マイナスエネルギー準位の電子が
プラスのエネルギーに遷移したあとに真空にできた空孔が
電子の反粒子である陽電子となるように説明しています。
しかし最近主流になっている量子論なら場のマイナス
エネルギー状態を仮定しなくても反粒子の存在をごく自然に
対象とすることができます。
反粒子は電子に 限ったことではなく物質を構成するすべての
素粒子に反粒子が存在しますので量子論の方が説明も
理解も早くなります。
旧ソ連の水素爆弾開発責任者であった物理学者のアンドレイ・
サハロフはCP対称性がわずかに破れることで物質が反物質
よりもわずかに多くつくられる可能性があることをことを示して
います。理論物理学の分野ですがサハロフはその先駆けでした。
クリスマスcactes /どのように成長する
1960年代は核物理学においても宇宙開発においてもソ連が
世界の最先端を突っ走っていましたが、ブ厚い鉄のカーテンに
おおわれていて秘密のベールにつつまれていました。
その中にあって物理学者サハロフは勇気ある人物でした。
30才代までは水爆開発の指導者でしたが、40才になってからは
官僚主義を批判したり、核実験に反対したり、核軍縮を推進
するなど平和主義者に変身し、ソ連政府をチクリチクリと
刺激しています。
サハロフはソ連でもっとも有名な物理学教科書著者を父に持ち
物理学には恵まれた環境で育ち、第二次世界大戦後は
アメリカに先を越された水爆実験をたったの1年足らずで
追いついたソ連の水爆開発の中心人物です。その功績で
� ��ーニン賞や、スターリン賞まで受賞している大物だけに
ソ連政府も黙認していましたが、1975年にノーベル平和賞に
選ばれたときには、さすがのソ連政府もプッツンし、受賞の
ための出国を禁じたのを手始めに、国家反逆罪に問うなど
現在の中国政府と同じようなことをしています。
強い信念の持ち主であったサハロフは1980年にソ連軍の
アフガニスタン侵攻を批判したためゴーリキー市の収容所
送りにまでされてしまいました。恐れを知らぬ人物です。
科学アカデミー会員以外の、すべての栄誉や称号を国家によって
剥奪されたサハロフでしたが、ゴルバチョフ政権の誕生によって
復権し人民代議員に選出され、国民的英雄となりました。
サハロフはぺレストロイカの聖者のような存在でした。< /p>
サハロフは、誕生直後の宇宙が物質と反物質が対等に生み
出された宇宙が、どのようにして物質のみからなる今の宇宙に
進化していったかを最初に考えた科学者でした。
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水爆を1年足らずで開発した人物ですから、現在の核融合炉の
基本となっているトカマク型の核融合炉も簡単に考え出して
います。それは核融合プラズマの閉じ込めにドーナツ型の
ボトルを使用するという現在実験中の核融合炉そのものでした。
サハロフはまず、この宇宙1立方メートルの平均密度を調べます。
そしてこの宇宙1立方メートルの体積には10億個の輻射量子と
1個の陽子が存在するのみで、反陽子は1個も存在しないことを
突き止めました。
ビッグバンの直後までさかのぼれば、同じ体積には10億個の
輻射量子と、10億個の反陽子と、10億1個の陽子があるという
結論に達します。
これは今日においてもビッグバン理論における宇宙開闢直後の
宇宙の状態そのものになります。サハロフはすでに半世紀前に
ここまで解明していたのです。常に50年先を走っていました。
もちろんサハロフはこの結果に満足しませんでした。
反物質は宇宙の地図から消え去ったわけであり、どうしてそう
なったのか、その理由を追及します。
ビッグバン直後の宇宙は、一大異変を遂げたと考えました。
正粒子と、反粒子の対の生成がおさえきれないほどになったと
推測し、輻射としての再吸収(=対消滅)よりも、はるかに多くの
対生成が起こったことになります。
これも50年前なら受け入れられにくい考えですが、今日では
多くの理論物理学者がサハロフと同じ考えです。
この考えに� ��つと、ビッグバンのスパークを基点として
拡大した光の半径よりも、宇宙は大きくなければなりません。
ビッグバン直後の1秒以内に、宇宙は光速度以上の早さで、
インフレーション的に膨張したに違いないとの結論に達します。
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サハロフのこの考えは、1980年にアメリカの素粒子物理学者
アラン・グースがインフレーション宇宙論を発表したよりも
20年は先行していたことになります。
当時は鉄のカーテンに閉ざされたソ連でしたから誰もこのような
ことを知る人はいませんでした。
サハロフの考えによると、正粒子と反粒子の対は対消滅する
よりも速く生成されたことになり、大量の反物質がこの世の
どこかに存在していることになります。
次にサハロフが考えたのは、時間の矢、というものでした。
これには当時タイムトラベルを完成させていたファインマンの
影響が大きく反映されています。素粒子レベルではありますが。
日常生� ��においては時間の矢は進む方向が決まっています。
映画のフィルムやビデオテープを逆まわしにすれば簡単に
見分けがつきます。しかし見分けのつかない素粒子が存在して
いたのです。
K中間子には500個に1個ぐらいの割合で非常に長い寿命の
ものが存在します。これは3個のパイ中間子に崩壊することなく
2個のパイ中間子に崩壊します。
中性K中間子とその反粒子は相反するストレンジネスでのみ
区別されます。両者は自然界のまったく同一な双子でした。
誕生の瞬間は区別ができても、それ以降はもはや見分けが
つきません。
中性のK中間子は、いったん形成されると、その後は自分自身の
ストレンジネスは忘れてかまわないし、自分の反粒子と好んで
混同されようとするのです 。その逆も同様で、K中間子が最終的に
崩壊すると、彼らは生まれたときに持っていた特徴を示さず
偽りのストレンジネスをまとってしまうのです。
ここでファインマンは反粒子が時間を逆行するという画期的な
考えを思いつきます。時間の矢がどちらを向いていても、
時間が逆行するという考えに基づいて立てた方程式が
この現象をうまく説明してくれるとタイムトラベルを完成させました。
千回に数回は中性K中間子の相互作用の進行状態は逆向きに
しても、その出発点には戻らなかったわけです。
サハロフはこの時間の矢によって解を見つけたと判断します。
さらに、サハロフの頭脳はとんでもないことをひらめかせます。
これこそ現代の物理学者が必死になって取り組んでいる課題です。
それは陽子崩壊。陽子崩壊は人間も、地球も、太陽も、銀河も、
この宇宙のすべてのものが崩壊することを意味します。
なぜ陽子が崩壊しなければならないのか?
原子核で満たされたこの宇宙が存在していること自体が、
陽子崩壊によって合理的で、つじつまの合うことをサハロフは
50年もの昔に見抜いていたのです。
日本のカミオカンデも、ス� ��パーカミオカンデも、アメリカの
IMBも、その他世界各地の地下深くに設置されている巨大な
純水タンクは、この陽子崩壊を確証するためにつくられたもの
です。ニュートリノ検出はオマケであったわけです。
検出方法は陽子崩壊により飛び出した陽電子が大量の純水中を
走る際に発するチェレンコフ放射をタンク内にズラリと並べた
超高感度検出装置でとらえるという仕組みになっています。
チェレンコフ放射も、その名前のニュアンスからわかるように
ソ連の物理学者チェレンコフが1934年に発見しました。
78年もの大昔のソ連の物理学は偉大でありました。
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